第2次世界大戦下、ドイツと日本もまた原子爆弾の開発を試みていた。だが、両国はなぜアメリカの後塵を拝することになったのか。ウラン濃縮装置を開発しなかったドイツ、臨界質量すら把握できなかった日本――。研究の遅れの裏には、資源不足やデータ欠如だけでなく、国家の体制や科学への姿勢の違いがあった。※本稿は、物理学者の山田克哉『原子爆弾〈新装改訂版〉核分裂の発見から、マンハッタン計画、投下まで』(講談社ブルーバックス)の一部を抜粋・編集したものです。