わたしの体は母体じゃない。奪われた「妊娠しない権利」を取り戻し、産む人も産まない人も尊重される世界へ

原告の田中さん(左)と梶谷風音さん(右) 「不妊治療」についてはご存じの方も多いだろう。様々な要因により妊娠が困難な状況にある人たちが、子を産むために受ける治療のことだ。 しかし、「不妊手術」となると、途端に聞き覚えのある人は少なくなるのではないだろうか。 不妊手術とは、自身の体から生殖能力を永久的に取り除く手術を指す。ネガティブなイメージを持つ人も多いかもしれないが、世界では一般的な避妊方法の一つとして広く認められている。 「わたしの体は母体じゃない」訴訟は、自らの意思で生殖能力を取り除きたいと考える女性たちの自由と権利が、国によって奪われている日本において、自分らしく生きるために不妊手術を受けたいと願う5人の原告が起こした裁判だ。 これは「不妊治療」を受ける権利と同じ、産むか産まないかを自分自身が決める権利、つまり、SRHR(性と生殖に関する健康と権利)を自らの手に取り戻すための闘いだ。 3月17日の東京地裁判決を前に、訴訟を支援する一般社団法人「LEDGE」が、2年にわたる裁判をたたかってきた原告たちの思いを聞いた。 「母親」になるための“電車”に乗せられて 「私は、生まれながらのフェミニストだったんだと思う」と話す原告の梶谷風音さん 原告の一人の梶谷風音(かじやかざね)さんは幼いときから、社会で当然とされる「空気」を疑う子どもだった。 小学校のころ、初めて学校で「生理」に関する授業を受けたときも、頭のなかは疑問でいっぱいになった。 「生理の説明をされたとき、『みんなの体はお母さんになるための準備を始めます』って言われたんです」 「その頃から私は、子どもは産まないと決めていたので、自分の体が自分の望まない未来のために『準備している』と言われるのが、すごく嫌で。女の子であることが自ずと、男性と恋をして、結婚して、子どもを産むことと地続きにされていることに、衝撃を受けました」 お母さんになるなんて、わたしは一言も言っていないのに。女性として生まれてきただけで、勝手に「母親」になるための“電車”に乗せられて、閉経するまでそのレールから外れることは許されないってどういうこと? 高校生のときに保健の授業で「不妊手術」という選択肢に出会い、梶谷さんは自分の生きたい人生を、自分で選び取る覚悟を決めた。 「生殖能力を持っている限り、この国で母体予備軍として扱われて、自分の望まない人生を生きていくことなんてできない。だから、わたしはもう“電車”の窓を割って飛び出してでも、途中下車させていただきますって思ったんです」 不妊手術を受ける自由を阻む「母体保護法」 母体保護法 しかし、そんな彼女が直面した現実は厳しいものだった。 日本では「母体保護法」による規制のもと、治療目的以外の不妊手術を受けることが原則として禁止されている。手術を受けられるのは、①妊娠や出産が生命に危険を及ぼす場合、または、②すでに子どもが数人いて、出産するたびに健康が低下するおそれのある場合のいずれかだ。 そして、どちらの場合も、配偶者の同意がなければならない。 一方、世界を見渡せば、国が自らの意思に基づく不妊手術を禁止しているのは、137か国のうち日本を含む8か国のみ。WHOのガイドラインにおいても、不妊手術は一般的な避妊方法の一つとして位置付けられている。 梶谷さんは不妊手術を受けたいと決めてから、複数の産婦人科に赴き、何度も相談を重ねた。しかし、どの病院でも断られ、結局日本では手術を受けることはできなかった。 その後も英語で海外の情報を集め続け、20代半ばで渡米して手術を受けることができた。しかし、それはすべての人が取れる選択肢とは言えない。 梶谷さんがアメリカで不妊手術を受けた際の写真。手術の傷跡は、術後1年ごろには梶谷さん本人が見てもわからない程度に回復した。 「日本の産婦人科で不妊手術を相談したときに、『自分の体を傷つけることになるんですよ』と言われたんです。ふたを開けてみたら、直後にちょっと傷が残ったくらい。侵襲性が低くて危険も少ない日帰り手術なのに、日本だと大げさに脅されるんです」 海を渡らなくても、英語で書かれた情報にアクセスできなくても、日本で、すべての人が自分の体について自己決定できるようにしたい。それが梶谷さんの目指すゴールだ。 それぞれの原告にそれぞれの理由がある 2024年2月に提訴した際の原告たちと弁護団 梶谷さんは、子どもを望まない自分の体が、国家により「母体」とみなされることから解き放たれたいという思いのもと、この訴訟の原告となった。ともに法廷に立ってきた他の原告4人にも、それぞれの思いと人生がある。 男性にも女性にも恋愛感情や性的欲求を持たないアロマンティック・アセクシュアルである佐藤玲奈さん(仮名)は、「パートナーを持たず、異性との生殖を行わない人生を送りたい」と考えており、不妊手術を受けることを望んでいる。 千文さん(仮名)は、「日本では子どもを持たないという選択肢を取る人は、透明人間のように扱われている」と語る。久野さんも「子どもを持たない人生を送りたい」「自分の人生を誰にも左右されず、自分の意思で決めたい」という願いを、法廷で語ってきた。 訴訟への思いを語る原告の田中さん 同じくこの訴訟の原告である田中さん(仮名)も、自分が望んでいない生殖能力を、自分のからだから取り除きたいと、この裁判を続けてきた。 「自分のからだのことは、自分で決めていいはずだ」という田中さんの思いとは裏腹に、女性が「母体」として扱われることが前提とされている国の法制度には、強い憤りがある。 「母体保護法はもともと優生保護法でしたが、国は未だに出生数を管理するために、女性だけを縛り付けているように感じてなりません。私は女性として生まれてきただけで、人生の選択が見えない手によって狭められることが本当に我慢できません」 「この訴訟を通じて、…この国に生きる全ての人が国が持つ偏見や圧力から解放される未来、女性が一人の人間として、自分らしく生き、男性もまたパターナリズムによる望まぬ重圧から解放される未来、そんな将来を、私は心から待ち望んでいます」(田中さんの意見陳述より) 「なんで女性というだけで、自分のあらゆる自己決定権を奪われて、お母さんになること、子どもを産むことが前提とされてしまうのかって思うんです。私たちは一人ひとり、自分の意思で、自分の人生を生きていいはずです」と田中さんは言う。 「子どもを産む人と同じように、子どもを持たない人生を望む人も、あらゆる選択肢を持つことができる社会になったらいいなと思う。誰も切り捨てられない社会になってほしい」 不妊手術を受けることで「後悔する」可能性? 2024年2月の提訴から2年あまり。原告の訴えに対して、国は、不妊手術の身体への侵襲の強さや、将来後悔する可能性を強調し、むしろ、条件を課して規制することで、「不妊手術を受けようとする者の子をもうけるか否かについての自己決定権を実質的に保障することにも寄与している」と主張してきた。 しかし、現在一般的な不妊手術法である卵管結紮(けっさつ)術(女性の卵管を縛る・切断する手術)は、5年ごとに器具の入れ換えが必要なミレーナなどの避妊方法と比較しても侵襲性が低い。 また、不妊手術をすると決めた人たちはみな、あらゆる可能性をすべて天秤にかけ、それでも「私はこの体ではいたくない」という結論に至っている。一夜にして選んだ結論ではない。なによりも、成人である彼女らが、一人で自分の体について自己決定することを禁止する理由はどこにもない。 もし選んだ先にわずかでも後悔があったとして、それは国が介入する余地のあるものではない。 その選択を選びとった、その人だけのもののはずだ。 判決を前に「目を逸らさないで」 原告の田中さんと梶谷風音さん 自分の体のことは、自分で選び取ることができる社会にすること。それは、不妊手術を望んでいない人にも、決して関係のない話ではない。 そして、この訴訟は、母体保護法によってずっと覆い隠されてきた「妊娠を望まない女性」の存在を可視化する訴訟でもある。 誰ももう、「不妊手術をしたいと望む女性なんているはずない」とは言うことができないはずだ。彼女たちを「原告」として目の当たりにしたのだから。 3月17日に迎える東京地裁判決を前に、原告たちはいま何を思うのか。 「目をそらさないでほしいです」。これが田中さんの第一声だった。 「裁判所はいくらでも直接、答えを出すことを避けられると思うんです。もし、私たちの痛みを少しも引き受けない、向き合っていない判決が出たら、無力感に襲われるでしょう。でも、もし仮に、私たちのことをわかろうとしてくれたんだ、紆余曲折があったんだって思えるような判決を読めたら、私は嬉しいです」 「もちろん、私たちの主張をすべて肯定してくれたら言うことないけど、『ダメ』なんだとしたら、その理由が聞きたい。なにかひとつでも向き合った言葉があるかもしれないと思うとすごく楽しみです」 梶谷さんは「百点の判決でなくてもよい」と言う。少しでも議論が前進するための一歩が踏み出せればまずは十分だ、という希望がそこにはある。 「この訴訟を通じて、『女の子は母にならなくても、結婚しなくても、何にでもなれる。自分の人生を生きられる』って伝えていきたいんです。そうして、最終的には産む人も産まない人も同じように、尊重される世界が来るといいなと思っています」 原告の田中さんと梶谷風音さん 取材・文/北郷礼奈 撮影/伊吹早織、雨森希紀 編集/伊吹早織 社会の不合理を司法の力で変えようとする「公共訴訟」。LEDGEは、この公共訴訟を支えるために作られた、弁護士やリサーチャー、キャンペーナーなどの各種専門家によるチームです。「変えられない、を変える」。自分らしく、公正な社会を生きたいすべての人々と共に、社会のルールチェンジに挑んでいます。 ここでは、社会課題の解決を目指す「公共訴訟」の背景やトピック、声をあげた原告や彼らを支える弁護団の思いなどを記事を通してお伝えします。 今回ご紹介した「わたしの体は母体じゃない」訴訟は3月17日に 東京地裁で一審判決 を迎えます。私たちの訴訟が歴史の一歩を後押しできるか、判決の瞬間をともに見届けてください。 また、 CALL4のケースページ では訴訟の詳細や最新情報をお知らせしています。充実した弁護活動を行うためのクラウドファンディングにも、ご協力をお願いします。 (2026年3月13日にLEDGEウェブサイトで公開の「 わたしの体は母体じゃない。奪われた『妊娠しない権利』を取り戻し、産む人も産まない人も尊重される世界へ 」より転載) 【公共訴訟の専門家集団 LEDGE】 日本初の公共訴訟支援に特化した専門家集団「LEDGE」。社会の不合理を司法の力で変えるため、弁護士やリサーチャー、キャンペーナーなどの多様な専門家が、「変えられないを、変える」ルールチェンジに挑戦しています。社会課題の解決をめざす「公共訴訟」の背景や、裁判のトピック、声を上げた原告たちの思いなどをお伝えします。 Related... 紙切れ1枚で、自由も、生活も、尊厳も、簡単に奪われた。「人質司法」に終止符を打つためのたたかい 中絶、配偶者の同意はなぜ必要?「立法趣旨は不明」な70年以上前の法律に、女性は今も縛られている 性被害者に警察官が「あなたにも落ち度」。刑事手続きでの二次加害、「改正刑法を蔑ろにしないで」と当事者ら訴え ...クリックして全文を読む