ハフポスト日本版
ドキュメンタリーで密着した一家の、(左から)シゲコさん、テツさん、タケマサさん 「住む場所や仕事、そしてこれまでの役割を失った人々にとって『その後を生きること』はいまも続いている問い」 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故により、故郷や家業を追われた人たちの生活の変化や、家族のかたちを記録したドキュメンタリー映画『三角屋の交差点で』が、4月4日のポレポレ東中野(東京都)での公開を皮切りに、神奈川、福島、山形各県などで上映される。 同作では、老老介護の家族が原発事故の「その後」を生きる姿に密着。「ジェンダー」や「家父長制」といったテーマから、家事・介護などの無償ケア労働(アンペイドワーク)の女性への負担の偏りについても静かに切り込んだ作品となっている。 3年をかけて撮影にあたった、山田徹監督に話を聞いた。 テツさんに認知症の症状が出る中、変わり果てた故郷を訪れる家族 【ストーリー】 2011年の東日本大震災と福島第一原発事故から7年。浪江町からの避難を余儀なくされた一家は、故郷に戻るか、新たな生活を選ぶかの狭間で揺れていた。震災を機に長年の仕事を手放し、いわき市にある復興公営住宅で暮らすなかで、家族の役割や関係性も静かに変化していく。 99歳の母テツは、記憶が薄れゆく中でも生まれ故郷の大熊町への想いを離さない。寡黙な息子タケマサは母を敬いながらも、介護の多くを妻シゲコに委ねている。役割を担い続けてきたシゲコは、家族の中で当然とされてきた立場や、自身の生き方を見つめ直し始める。 作中より。原発事故により、故郷の景色も大きく変容してしまった。瓦礫の山を前に呆然と立ち尽くすシゲコさんとタケマサさん ──2011年以降、福島をフィールドに映像制作を続けられています。きっかけは。 東日本大震災が発生した当時は、東京の記録映画の制作会社で演出助手をしていました。テレビから流れてくる東京電力福島第一原発事故の映像に衝撃を受けました。 初めはボランティアとして福島県に通い始め、新地町の人たちと出会いました。通い続け、漁師さんたちの話を聞く中で、映像制作を通じて福島に向き合いたいと思いました。 3年半ほど漁師さんたちの撮影を続け、2017年に映画『 新地町の漁師たち 』を劇場公開しました。 山田徹監督 ──次のテーマとして撮影された映像が、『三角屋の交差点で』に繋がったのですね。 はい。2018年の3月頃から半年間、浪江町に住みました。取材過程で、公費解体で家がどんどん解体され、生活の痕跡や記憶がどんどん消えていくという光景を目にしました。街が消えていくということをテーマに作品を撮ろうと思ったのが今回の映画の出発点でした。 経営していた印刷所や実家がある浪江町に、避難先のいわき市の復興公営住宅から通っていたタケマサさんに出会いました。解体を機に、母・テツさんのために仏壇や思い出の物を避難先に運ぼうとする姿を記録し、10分にまとめた映像を当時、Yahoo!ニュースで公開しました。 その後、テツさんや、タケマサさんの妻・シゲコさんにも話を聞き、原発事故を経た家族の関係性の変化や内実などに関心を持ち、記録を始めました。 災害で浮き彫りになった、「無償ケア労働」の女性への偏り 避難先に運び込まれた、テツさんが大切にする仏壇を前に、介護をめぐって話し合う家族。 ──原発事故の影響を追ったドキュメンタリーで、「家父長制」や「ジェンダー」をテーマにしたものは少ないと思います。着目した経緯は。 家族を取材する中で、タケマサさんは母親が大切にしている仏壇を運ぼうとしたり、食事会を開いてあげたりと、母親・家族思いなところもある一方で、家では母親の介護はほとんどしないという面もあることに気づきました。 家族と時間を過ごしていくうちに感じたのは、家事や介護などのケアワークは女性であるシゲコさんのみが担っているということでした。 これはこの家族に限ったことではなく、福島で周りを見回してみてもそうでした。原発事故後、皆が喪失感にくれる中、女性は震災後や避難生活の中でも、家族の食事の準備や介護など、日々の営みに明け暮れ、家を支え続けていたという側面がありました。目の前の生活を支えて、家族を繋ぎ止めていました。 ──家事や育児、介護という「無償ケア労働」を女性を担ってきた状況が、多くの男性が災害で仕事を失った中、避難生活でより浮き彫りになったのですね。興味深いです。 世代間での違いはあるとは思いますが、特に福島や東北地方の家庭には家父長制的な価値観がまだ根強く残っていると感じました。1作目の映画『新地町の漁師たち』で撮影した漁師さんもそうだったと思います。 当時は街が復興に向かっていく中で、あらゆる式典や新しくできた小学校の入学式なども多く取材したのですが、挨拶などで登壇する人の多くは男性で、「女性の姿が見えない」ことに違和感を感じました。 福島や原発事故に関する報道でも、地元の人たちの声として男性が多く取り上げられていて、女性の声が少なく、意思決定の場にも女性の姿はほとんどありませんでした。典型的な例だと思いました。 男性は家の外の世界の政治や仕事などで意思決定を担い、女性は家の中の生活を支えていても、女性の無償ケア労働は家庭でも、社会でも評価されていないという状況があると感じました。 作中より ──撮影する中で、そのような違和感を特に感じた場面はありましたか。 やはり入浴介護のシーンだと思います。テツさんは週2回、外部の入浴介助を頼んでいるのですが、シゲコさんが大変な中、タケマサさんは声をかけても部屋にこもって背を向けて、自分の作業をしていました。 タケマサさんは、母親と自分は異性であることや親子関係を理由に介護をすることが難しいと語っていました。 一方で、母親や介護ときちんと向き合えず、素直な気持ちを伝えられないという葛藤、そんな自分を作ってきた時代性についても語ってくれましたし、葛藤から抜け出したいという気持ちもあったんです。だからこそカメラの前でそんな思いを語ってくれたのだとも思います。 タケマサさん 震災前は印刷会社の「社長」や、いわゆる「家長」だったのが、タケマサさんそのものでありプライドでもあった家や会社も、原発事故で失いました。 家族との食事会では、「家長」として挨拶をする一方で、息子からの指摘で、公費解体の書類なども全てシゲコさんがやっていたということが露呈するなど、男性として強くあろうとする価値観が、実はすごくもろいものだったということを目の当たりしていきます。 そこからは、家父長制の虚無さや、そのような制度や考え方に苦しめられてきたシゲコさんの悲しみが伝わってくるかと思います。 家の外からは見えにくい無償ケア労働の偏りがあり、それはどういう価値観のもとで生まれてくるものなのかというと、家父長制や家制度などと繋がってきます。 「2人への見方も変わった。自分のことも大事にしようと思った」 家族との関係性の変化について明るく話すシゲコさん ──シゲコさんが大変な状況下、避難生活を経て、家族との関係性にポジティブな変化を見出している姿も印象的でした。 シゲコさんは震災後、「役割」に対する価値観や仕事から解き放たれた自分もあったという風にも話してくれましたね。 震災で仕事を失い、家族の中での役割や関係性も変わった部分もある中で、自分自身、そして周りへの見方も変わったと言っていました。 震災前はタケマサさんのことを「社長」や「夫」、テツさんのことを「姑」としてみて、「強い存在」だと思っていたけど、震災後に避難先を転々として、テツさんにもだんだんと認知症の症状が出て衰えていく中で、「2人への見方も変わっていった。自分のことも大事にしようと思った」と言っていたんです。すごくいい言葉だと思いました。 「役割」よりも、その人そのものを見ようと思い始めたそうです。 車の運転中、「この道はずっと仕事で通ってたんだけども、今はもう歌でも歌いたくなってしまう」と笑い、ふと気づいた、見慣れた道の自然の美しさについても話していました。 多くの人の人生を変え、「15年経っても続いている」原発事故の影響 作中より ──映画からは改めて、原発事故は本当に多くの人々の人生を変えてしまい、今も影響は続いているということも強く感じました。 最近は、中間貯蔵施設と福島第一原発がある大熊町に行っていますが、帰還困難区域では震災発生から15年経った今も、一部地域では自分の家に許可申請なしでは帰れないという状況が続いています。高齢の親の思いを叶えてあげられないまま亡くなってしまうという声も聞きます。 映画の中でも風景シーンとして、福島第一原子力発電所や中間貯蔵施設の映像も入っていますが、これから除染土はどうなっていくのかという問題もまだあって。人々の生活は変わってしまったけど、15年経っても終わらず、続いている問題があります。 撮影をしたご家族もずっと生活が続いているので、15年という節目はあまり感じていません。でも節目は、考えるきっかけにはなると思います。 今の社会が何をみて、何を見ていないかということを問いたい。映画が、震災や原発事故について考えるきっかけになればいいなと思います。 (取材・文=冨田すみれ子 / ハフポスト日本版) (映画『三角屋の交差点で』予告編動画) Related... 地元を撮り続けた町職員が選んだ「10枚」の写真。家族や風景、当たり前の光景じゃない【3.11】 「ずっと福島に置いておけ」は「地元に帰るな」と一緒。除染土は、“ある小さな地方”の問題ではない 記者が訪れた中間貯蔵施設。除染土の「福島県外」最終処分、理解醸成に向けた「新たな一手」はあるか【ルポ】 ...クリックして全文を読む
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