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映画作品の宣伝のため、劇場や街角に貼られてきたポスター。最近では、同じ作品でも日本と海外ではデザインが違うと話題になることも多い。 映画ポスターを誰がどんな意図で作っているのか、明らかにされることはあまりない。しかし日本でも、宣伝の枠を超えた、作家性が際立つグラフィックアートとしての価値を持つポスターが作られてきた歴史がある。 そんな映画ポスターの知られざる歴史に迫る展覧会「再訪 日本の映画ポスター芸術」が、東京・京橋の国立映画アーカイブで4月7日から始まった。 本展では、1960年代〜80年代に日本で制作された90点以上のポスターを通じて、映画とデザインが互いにどのように影響を与えてきたのかを紹介している。 同館主任研究員の岡田秀則さんの解説をもとに、本展の魅力と映画ポスターの役割を探る。 【画像をもっと見る】 「新宿泥棒日記」や「グーニーズ」の映画ポスター 国立映画アーカイブ展覧会「再訪 日本の映画ポスター芸術」 スターシステムに基づく、わかりやすいポスター 映画上映前に公開されるポスターには、広告や販促としての効果が期待されてきた。日本の映画ポスターは、ほとんどの場合は製作・配給会社のコントロールのもとで匿名的に作られてきた。 作品を説明する“わかりやすさ”を重視する従来の映画ポスター観を塗り替え、革新的な変化を遂げたのが、本展で取り上げている60年代〜80年代。映画・美術・文学・演劇などのジャンルが混じり合い、新世代のデザイナーが登場したことで、旧来のスタイルが変わっていった。 国立映画アーカイブでは、2012年にも「日本の映画ポスター芸術」展を主催しており、今回は新たな収蔵品を加えてより充実したラインナップで開催される。 戦後、映画が娯楽産業として広がった時に求められたのは、人気のある俳優を中心に映画を制作する「スターシステム」に基づく、わかりやすいポスターだった。出演者の顔とキャッチフレーズを強調するもので、現在のメジャーな日本映画のポスターにもみられる特徴だ。 こうしたポスターは、業界内に囲い込まれたデザイナーが匿名で担当することがほとんどだったが、一方で、映画を深く理解し、絵画のスタイルで捉えようとしたアーティストもいた。 野口久光「大人は判ってくれない」(B2版の上下2枚組バージョン) その一人が、野口久光(1909-94)だ。もともとは、ヨーロッパ映画を配給する東和商事(のちの東宝東和)の宣伝部社員で、入社試験に自身が描いたポスターを持っていき採用されたという。数々のポスターを手がけたが、中でも有名なのはフランソワ・トリュフォー監督の「大人は判ってくれない」のポスターで、トリュフォー監督自身が気に入り、続編に小道具として登場させたという逸話もある。 粟津潔、横尾忠則、和田誠、石岡瑛子らの台頭 1960年前後は、日本の映画界が最も観客を集めた時代。世界各地でヌーヴェルヴァーグが台頭し、日本でも大衆映画だけではなく、アートフィルムが多く生まれた。 新世代のグラフィックデザイナーも映画に強い関心を抱いた一方、業界の壁は厚く、活躍の場は簡単には与えられなかった。岡田さんの解説によると、デザイン制作会社の東宝アートビュロー(現・TOHOマーケティング)に勤めていたデザイナーの間では、スターの顔を並べたポスターは「お団子ポスター」と呼ばれており、当時もやはり業界の慣習として、わかりやすいキャッチーフレーズや、情報を効率的に埋めていくようにデザインしたポスターが求められたという。 そんな中、数少ない例として、粟津潔(1929-2009)は石原裕次郎主演の「嵐を呼ぶ男」など、日本映画の海外宣伝用のポスターを手がけた。 デザイナーたちは、制約のある業界内に入り込むのではなく、自由な発想をもとに、新しい映画作家たちとの伴走を試みた。粟津が手がけた、1969年公開の岩下志麻主演「心中天網島」のポスターで特徴的なのは、色使いと正方形の写真を並べるスタイルだ。 粟津潔「心中天網島」 岡田さんは「時間の芸術である映画を、いかに1枚の紙の上に表現していくのか。その課題を考えた時に、このようなチャレンジングな手法が編み出されたのではないか」と解説。粟津はその後の作品でも、このスタイルを追求していった。 斬新な演劇ポスターを次々と生み出したことでも知られる横尾忠則(1936-)は、大島渚監督から指名を受け、「新宿泥棒日記」で主演を務め、自ら映画ポスターも制作した。 和田誠(1936-2019)は20代から9年間にわたり、新宿にあった格安で名作が観られる映画館「日活名画座」のポスターを無償で担当。本展では、映画への深い愛を示した和田の「アメリカ映画史講座」も展示している。 石岡瑛子(1938-2012)は、広告・舞台美術、衣装デザインと多岐にわたる分野で活躍し、2025年に日本でリバイバル上映されロングヒットした「落下の王国」の衣装担当としても注目を集めたばかり。ポスターのアートディレクションとして世界を驚かせたのは「地獄の黙示録」の日本版ポスターで、フランシス・フォード・コッポラ監督自身が大いに気に入り、その後さまざまな仕事を共にした。 「地獄の黙示録」ポスターでは、イラストは滝野晴夫、デザインは石岡瑛子が手がけた 「スター・ウォーズ」で日本人アーティストが世界へ 外国のアートフィルムの配給に特化した日本アート・シアター・ギルド(ATG)が1962年に発足したことも、映画ポスターの可能性を大きく広げた。ATGは、それまでの制約を取り払い、デザイナーが映画から受けたインパクトを自分の表現としてポスターを制作することを認めたという。 業界内のデザイナーも、ATGのもとでは従来の規範にとらわれない形で作るようになり、その一人が、檜垣紀六(1940-)だ。スタンリー・キューブリック監督「時計じかけのオレンジ」、クリント・イーストウッド監督「ダーティハリー」などのメジャーな作品を次々と手がける一方で、吉田喜重監督の「エロス+虐殺」やフランス、ソビエトの映画などでは幅広い表現を取り入れた。 1970年代には、岩波ホールがアート映画を上映するシリーズで、小笠原正勝(1942-)がポスターデザイナーとして起用され、80年代のミニシアターブームをビジュアル面から牽引した。「恋の浮島」などには、「画面の分割や、逆三角形や丸などの図形の挿入」という小笠原の作風が見て取れるという。 こうした新しい潮流は、ATGやミニシアターの外側にも広がり、イラストレーター、漫画家などが招かれ、映画とデザインが互いに刺激を与え合った。 佐藤晃一「利休」 グラフィックデザイナーの佐藤晃一(1944-2016)が手がけた「利休」は、特殊なインクを使って美しいグラデーションを生み出しており、日本の映画ポスターの中でも特別にお金をかけたものだと言われているという。 また、この頃には、日本のアーティストの作品がハリウッドで採用された例もある。後に「ゴジラ」シリーズを手がけることになるイラストレーターの生賴範義(1935-2015)は、1980年にSF雑誌で「スター・ウォーズ」のイメージ画を発表し、それがジョージ・ルーカス監督の目に留まり、「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」では国際版ポスターを依頼され、海外でも多くのファンを虜にした。その後は「グーニーズ」などのポスターも手がけた。 生賴範義 「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」 都市風景を作る、ヨーロッパの映画ポスター このように、グラフィックやデザイン、イラストレーションと映画は、ある時は接近し、ある時は離れながらも影響を与え合ってきた。本展では1980年代までを中心に扱っているが、90年代以降も現在に至るまで、ミニシアターで上映されるアートフィルムを中心に、岡野登、大寿美トモエ、大島依提亜などのデザイナーが、映画の美質を見事にとらえたポスターを発表してきた。 岡田さんに尋ねると、演者の顔とキャッチフレーズを中心にした日本の映画ポスターは、スターシステムを生んだアメリカの影響が強いが、各国では違いがみられるという。フランスやイタリアなどでは、キャッチコピーにはあまり力を入れず、ポスターは街中にある円柱の広告塔に貼ることを想定して作られており、そのデザインが各地の都市風景を形作る大きな要素となる場合もあるとのことだ。 社会情勢や都市風景、そしてネットやテクノロジーの進化とともに変わり続ける映画ポスター。 「再訪 日本の映画ポスター芸術」は、7月26日まで開催される。 関連記事 【画像】日本の映画ポスター、“わかりやすさ”か“表現”か。知られざる歴史に迫る展覧会が東京・国立映画アーカイブで開催 11歳の息子の死、シェイクスピアにどう影響したか。映画「ハムネット」が問う、人が芸術を求める理由 映画「国宝」の北米版ポスターに「かっこいい」「飾りたい」と絶賛の声。日本版と比べると? ...クリックして全文を読む
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