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米ディズニーワールドの元キャストが明かす、魔法の国の光と影 | Collector
米ディズニーワールドの元キャストが明かす、魔法の国の光と影
ハフポスト日本版

米ディズニーワールドの元キャストが明かす、魔法の国の光と影

アメリカ・フロリダ州にあるディズニーワールドでの研修初日、私は「くまのプーさん」になる方法を学んでいた。「ズボンを履いてない」とゲストからいつも指摘される、大きな黄色いクマだ。歩き方はほぼ完璧になったが、この四角い足のせいですねが痛い。 私はやがて、自分の身長範囲のあらゆるキャラクターの話し方やサインのしかた、振る舞いを身につけた。もし“着ぐるみキャラクター”として実力を証明できれば、言葉を話す“人間キャラクター”に昇格できる。 季節は秋で、外は涼しいものの、着ぐるみの中は暑く、近くで立っていた妊娠中のドナルドダック役が倒れてしまい、私もそうなる寸前だった。だから私は昇格を願っていたーー。 「夢と魔法の国」へようこそ。 ディズニープリンセスになるまで 私はディズニー映画を見て育ったが、まさか自分が“ミッキーマウス”のために働くとは思ってもいなかった。 7歳の時、ディズニーワールドへ連れて行く前に祖母に髪を「きのこ」のように切られ、私はその日ずっと泣いていて、何があったのか今ではほとんど覚えていない。 13歳になると、祖父母は私をボーカルレッスンに通わせた。先生は後に、私にとって第2の母のような存在になる存在だった。12年間にわたる関係の中で、先生の娘はプロ歌手となり、ディズニーでステージパフォーマーとして働き始め、その後ブロードウェイへ進み、自身のアルバムも制作した。 私にもその後を追ってみてはどうかと勧められ、私は家を離れるチャンスに飛びついた。 20歳の誕生日から数週間後、私は何百人もの志望者たちとともにオーディション会場に座っていた。緊張しすぎてパフォーマンスは散々だったが、“フェイスキャラクター(着ぐるみなしの人間キャラクター)”として応募すること、そして準備ができたらステージ役に再挑戦するよう勧められた。 私はセカンドチャンスを求めて再びオーディションに臨んだ。その日は身体測定を受け、パレードのダンスを覚え、パントマイムの技術を披露し、自分が似ているキャラクターの映画のセリフを演じた。ダンスは特別うまいわけではなかったが、『美女と野獣』のベル役と、『ティンカーベル』シリーズの妖精フォーン役を勝ち取り、忘れられない経験への切符を手にした。 ディズニーの裏側 私はすぐに、ディズニーワールドでは“妖精の粉”は本当に存在するのだと知った。ただし、一部のティンカーベルたちはそれを子どもたちに振りかける代わりに、違う粉(粉状の麻薬)を鼻から吸い込んでいた。 そして王子役の男性の1人は、「全ての大陸出身の女性と寝る」という野望を抱いていると噂だった。世界を“旅する”ことができる「エプコット」パークのおかげで、彼はすでに半分以上達成しているらしい。ウォルト・ディズニーも、自分の作った世界が傲慢な男たちが”女性のビュッフェ”を楽しむ場になるとは想像していなかっただろう。 『美女と野獣』のベルを演じる筆者 ディズニーで働き始めた最初の数カ月、私はファストフード中心の生活と、偽りのセレブ気分、そして深夜の外出に夢中になっていた。フロリダ州オーランド郊外の街、セレブレーションのすぐ外れにあるおしゃれなタウンハウスに、他の従業員2人と家賃月350ドルずつで住んでいた。 ディズニーワールド内のいくつものパークを毎週移動して働いていたため、休憩室にはいつも新しい顔ぶれがいた。当時最も親しかったのは、一緒に行動するフォトグラファーやキャストアシスタントたちだった。 冬になると、私はついに“人間キャラクター”役に就いた。つけまつげやラメ、特注ウィッグのつけ方を覚えた。自分の頭のサイズは平均より約5センチ小さいことや、日焼けはもはや許されないことを告げられた。隣にいたシンデレラ役は体重増加を注意され、アリエル役は“年齢制限”について管理側と話し合っていた。 ベル役として迎えた初日、私はまるで18キロの黄色のドレスに閉じ込められたケーキの上の飾りになったような気分だった。 「プリンセスルーム」の扉が開くと、キャスト仲間のプリンセスたちと私は、「わあ〜」という歓声で迎えられた。その日、子どもの目線に合わせるため何千回もスクワットすることになるとは思ってもいなかったし、茶色い汚れがオムツの脇から漏れ出している赤ちゃんを、何のためらいもなく私の膝に乗せて何枚も写真を撮ろうとする母親への心の準備もできていなかった。さらに、近くにきて「獣姦に興味あるの?」と聞いてきた父親には、なおさら対応する準備ができていなかった。 パーク内には、あらゆる場所へとつながるトンネル網「アンダーグラウンド」がある。パフォーマーたちは、同じキャラクターが複数、園内を歩いているのをゲストに見られないよう、この通路を使う。そんな光景を見られれば、会社が必死に守ろうとしている“夢の世界”が壊れてしまうからだ。 でも、頭上を走る配管から漂ってくる酸っぱい下水の臭いのせいで、私は常に「落ちてくる水滴を避けるゲーム」を強いられていた。 ディズニーには、複数のチェーン店が入った社員食堂のほか、敷地内にはガソリンスタンド、消防署、医療クリニックも用意されている。 色あせていった魔法の輝き 春になる頃、私は“日の出シフト”に回された。これはバックステージツアーの担当を意味する。法外な金額を支払ったゲストたちが、“夢から覚める”ためのツアーだ。 ゲストは私の更衣室の前を通り過ぎる。その時ほど、自分が動物園の見せ物のように感じたことはない。「キャストとは交流しないように」と言われているのか、誰も私に話しかけてはこない。その代わり、こんな声を耳にする。 「見て、あのウィッグ!」 「実際はあんな感じなんだ、知らなかった」 「あの靴の写真撮って。あ、カメラ禁止だった、ごめん」 「うわ、あのドレス作るのにいくらかかるんだろう?」 「コーヒーが必要そうだね」 『美女と野獣』のベルを演じる筆者 その後の1年半で、魔法の輝きはさらに色あせていった。 朝起きて、ベッドから体を引きずり出し、キャスト用駐車場に車を停め、ゲート裏行きのバスに乗り、トンネルを走り抜け、遅刻して打刻し、また警告を受け、衣装を手に取り、メイクをして、担当エリアへ向かう。開始時間を待ちながらテンションを上げる音楽を聴き、そして“イケてる自分”になった気分でステージへ出る。 笑顔。子どもたちのためにしゃがむ。写真。しゃがむ。しゃがむ。しゃがむ。笑顔。1回のセットで200人のゲストと会う。部屋を閉める。笑顔が一気に消える。ステージを降りる。休憩室用の服に着替える。ソファでディズニー映画を見る。サンドイッチを食べる。仮眠する。メイクを直す。再び衣装を着る。 これを4回繰り返す。セットの合間は45分から85分。 休憩中にはパーク内へ行くことも許されていて、パレードを見たり、アイスクリームを食べたり、ジェットコースターに乗ったり、ギフトショップをのぞいたりもできる。でも私は、“自分の空間”から出たいと思ったことがほとんどなかった。ディズニー東京やパリのオーディション募集が出た時でさえそうだった。 結局のところ、これは仕事なのだ。勤務が終われば帰宅し、夕食をテイクアウトして、パジャマでの家時間を楽しみにする。 それでも、生涯の友人たちができた。一緒にディズニークルーズへ行ったり、フロリダのクラブで、紙吹雪とウォッカにまみれながら踊り明かしたりした。ラメだらけの顔も、そこでは妙にしっくりきていた。 “魔法”を届けることが、私たちの務めであり誇り 2年目の終わり、私は、動物と話せるおてんばな妖精「フォーン」役を演じていた。 ある日、難病と闘う子どもたちの夢を叶える団体「メイク・ア・ウィッシュ」による子どもとのグリーティングがあった。キャストにドレスアップしてもらったその子は車椅子に乗っており、私たちは彼女を囲み、優しく声をかけた。 普段は、部屋の右上に隠されているタイマーはゲスト数を管理し、ノルマを達成するための厳格なカウンターとして機能しているが、その時は表示が消えていた。 私たちは時間をかけて、彼女の好きなことや夢について尋ねた。キラキラした靴や、放射線治療の痕の上に乗ったミッキーの耳も素敵だと褒めた。そして別れの時間が来た。 彼女は“本当のネバーランド”へ向かおうとしていた。だから私たちは身を寄せ合い、必死に抑え込んでいた感情で羽を震わせた。 私たちは普段、1日に1000人以上と会っている。子どもたちが望むだけ長く抱きしめるようには教えられていない。列をさばかなければならないし、達成すべきノルマもある。 だからこそ、時間の流れがゆっくりになり、自分たちがなぜここにいるのかを思い出させてくれるこういった瞬間は、私たちにとって大事なのだ。子どもにも大人にも“魔法”を届けること。それが私たちの務めであり、誇りなのだ。 もちろん、その使命を軽く受け流したり、冗談めかしたりする日もある。でも別の日には、この小さな女の子のような誰かとの出会いが、重く胸に沈み込み、人生の不公平さからなかなか立ち直れなくなることもある。 それでも仕事に戻らなければならない。お客さんたちは落ち込んだ妖精など見たくないのだ。 魔法を“生み出すこと”と“体験すること”は違う 管理職にでも就かない限り、ディズニーワールドでこれより上に行く道はないと感じていた。でも、それは望んでいなかった。 日を追うごとに、私はウィッグの下に閉じ込められ、衣装に押さえつけられているよう感じるようになった。笑顔の仮面の裏で息が詰まっていく感覚は、ますます常態化していった。 私は、自分が次へ進む時だと悟った。 妖精「フォーン」役を演じる筆者 勤務最後の日、私たちのグリーティング施設“ピクシー・ホロウ”には特別ゲストとしてピーター・パンが来ていた。誰も知らないが、ピーターは私にとって「夢」や「想像力」、そして「永遠の可能性」を象徴する、いちばん好きな存在だった。 部屋が閉まり、“秘密の壁”が開き、“人間の世界”へ戻ろうとしたとき、私は立ち止まった。この最後の数歩が何を意味するのか、突然現実味を帯びてきたからだ。 するとピーターが、私に向かって手を差し伸べた。 「必要なのは、信じる心と少しの勇気だけだよ」 彼はそう言い、私たちは最後にもう一度、その部屋を後にした。 私は、ほんの少しだけ、それを信じそうになった。 本当の魔法は存在するのか ディズニーの経済が大きく揺らぐことはめったにない。なぜなら、人はいつだってノスタルジーの中に安心を求めるからだ。 訪れた人々は、自分が憧れたキャラクターと触れ合い、あるいはそのキャラクターそのものになり、ハッピーエンドを信じていた頃の気持ちを思い出す。そして、子どもたちの喜びを通して、その幸福を追体験するのだ。 私はディズニーで3年間働いた。でも、自分自身について学べたことは何ひとつなかった。 ディズニーは、高校のような場所だ。派閥やグループによって自分のアイデンティティは固定されるが、それが広がることはない。キャラクターになることは、人々が思っているほど夢のようなものではない。そして、“魔法を生み出すこと”は、“魔法を体験すること”とは違う。 今の私にとってディズニーは、フロリダのよどんだ湿地の上に建てられた、きらびやかなピンクの城のように見える。どれだけ飾り立てても、結局のところ、そこは暑くて、人が多くて、過大評価された場所だ。 その幻想が成立するのは、細心の注意を払って維持されている時だけ。そして、その魔法を保つためには、必ず誰かが舞台裏に立ち、あるいは着ぐるみの中で汗を流している。 もしあなたが明日そこへ行くのなら、行くといい。魔法を信じて、写真を撮って、花火に涙して、いつもより少し長く子どもの手を握っていてほしい。 私の言うことなんて気にしなくていい。私はそもそも、ディズニーを愛していたわけではなかった。だから、去る時に“愛が冷める”こともなかった。 それでも私は、ディズニーの「素晴らしき世界」をまだ知らない夫が、パークを楽しそうに探検している姿を見るのが好きだ。今でも私は、仕事の電話で無意識にベルのような話し方をしてしまうし、フォーンはこれからも私の一部であり続けるだろう。 ディズニー映画もほとんど見ている。意図された通り、それらは私に安心感とインスピレーションを与えてくれるからだ。 今の私が知っていることによって、ディズニーが台無しになったわけではない。私は昔と変わらず、ディズニーを「娯楽と現実逃避のために作られたテーマパーク」だと思っている。 働いている間に“本物の魔法”を見つけられなかったことには失望した。でも、きっとそれこそが本質なのだろう。幕の裏側に本当の魔法なんて存在しない。あるのは、私たちが幕の前で作り出しているものだけなのだ。 ▽▽▽ 筆者ミカラ・ブリアナは作家であり、Barrie Patch BooksおよびThe Healing Arts LLCのCEO兼創設者。また、エグゼクティブ・プロデューサー、ポッドキャストホスト、臨床カウンセラー、表現芸術セラピストとしても活動している。創作文学と心理学の分野で5つの大学学位をもっている。 本エッセイは、回想録の一部を編集したものである。 ハフポストUS版 の記事を翻訳・編集しました。 Related... 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